みんなの「親への手紙」 038 家庭は、小さな絶滅収容所

★名前 山根
★性別 男
★年齢 25
★職業 無職


 母へ。
 ついに一度も口にできず、これからもしないであろう考えで、いつも頭がかき乱されています。

 あなたに認められたい、喜ばせたい、白紙に戻して仲良くしたいという気持ちと、そんなものはすべて唾棄して、どこか遠いところであなたや父の顔も忘れて暮らしたいという気持ちが互い違いに襲ってきて、心が引き裂かれそうです。

 こんなに長い間引きずることになるとは、渦中にいた子どもの頃は思いもよりませんでした。

 でも、痛みや悲しみは不思議ですね。
 時間が経てば経つほどより鮮明になり、人の心と行動の機序を知れば知るほど、当時思っていた以上に子どもの私が疎まれ、蔑まれ、露骨な憎悪をむけられ、そこにはあなたが主張したような愛情はなかったことがありありと見えてきます。

 あなたは、私から一切の自尊心を奪い、代わりに深い孤独を与えました。
 あなたは以前に何度か、「許してほしい」と言って、電話越しに泣きだしたことがありましたね。
 歳をとってさみしくなったあなたの独りよがりを、どうかこれ以上、私に押しつけないでください。

 とても早い段階で精神に不調をきたし、あなたたちの元を離れてからも時に地獄の苦しみを味わいながら十年以上過ごした私に、どんな不安を抱え、どんな気持ちで生きているのか、ひょっとして今でも苦しんでいるのか、一度でも聞いてみたことはありましたか。

 常に自分を主語に置き、自分が「許されて」行いを帳消しにされればそれでいいというあなたの独りよがりには、呆れます。
 私は、あなたの告解を聴く神父ではありません。

 許す・許さないなどといった外交カードを振りかざして生きてきた覚えはなく、そんなことより自分の精神を安静にたもつのに精一杯です。

 物心ついた頃には、あなたと父の暴力におびえていました。
 理不尽なことで、まだほんの幼稚園児の私や姉に詰め寄っては、「よけると倍になる」などと言って興奮した赤ら顔で私たちの頬を力のかぎり何度もひっぱたき、「橋の下に棄てるのだ」と言って、泣き叫ぶ私たちの髪を引っぱって振り回しましたね。

 荒ぶる父が、受話器で私の頭を殴りつけて縫合が必要な怪我を負わせ、手加減することもなく背負い投げで床に叩きつけ、腹をおもいきり蹴りつけても、あなたは最終的には自分が夫から受ける被害に頭がいっぱい。

 父から私を守ろうとするでもなく、代わりに夫婦で刃物をふりまわし家中の物を壊すところを見せつけ、小学一年生の私が二度警察に通報しても、世間体を気にするだけで、最後には何もしませんでした。

 あなたはいつも情緒不安定で、態度が一貫せず、自分自身の現状を見きわめるのが、まるで子どものように下手でした。
 自分のことはきれいに棚に上げ、自分と同じことをしている人をしたり顔で批判し、自分を人格者と思いこんでいました。

 そして、驚くべきことにというべきか、当然というべきか、自分を賢い人間と信じて疑いませんでした。
 理不尽なことで怒りを爆発させては、私を痛めつけて自尊心を粉々に打ち砕き、なぜそのようなことをするのかと楯突こうものなら、勝ち誇ったように「親だから!」「子どもにそんな権利はない!」とわめきちらしました。

 自分の行動基準を一切説明できず、あることがなぜ体罰や折檻に値するのかも説明できず、抵抗するすべも持たない子どもを暴力でねじ伏せるような人間は、子どもの目にもただの大ばかものとして映り、尊敬のような感情はみじんも湧きませんでした。

 私も姉も、「生き抜くためにはいつかあなたを殺さなければ」と真剣に考えていました。
 要領のいい姉は、そのうちに暴力の対象から外され、家庭不和のしわ寄せは、大人の期待通りに振る舞えなかった私一人へのすさまじい暴力という形で集中することになりました。

 それも、今度は陰湿な密室化が進み、「自分が招いた結果に違いない」と信じた私は、どんどん助けを求めることができなくなっていきました。

 毎日のように容赦ない言葉で私を貶め、突然部屋にやって来てはガラス製の置物を手当たり次第に投げつけ、「頼むから飛び降りて死んでくれ」と言ってベランダの柵まで私を引きずって行き、「早く家からいなくなれ」と言って私を責めました。

 真冬の夜に私が家から逃げようとすると、服をはぎ取って素っ裸にしたうえで外に出し、恥ずかしさに耐えきれず戻ろうとすると、浴室に連れていって頭から冷水を浴びせましたね。

 電気コードを使って力いっぱい首を絞められたあの午後を境に、私の記憶は時に曖昧になり、起きている間もまるで夢を見ているようにまわりの世界が遠のいて、授業中も何をしているのか途中で分からなくなるようなことが普通になりました。

 今思えば、どれもささいなことでしたが、学校でも次々と問題を起こして先生から目の敵にされ、授業を一コマつぶしての吊し上げは毎日のこと。
 階段の上から突き落とされたかと思えば、家にも毎日電話をかけられ、家に帰れば折檻が待っていました。

「あなたのせいで私の人生めちゃくちゃ」
「一体何の罰であなたみたいな子を私が」
「なぜこんなに私を苦しめるの」
「顔も見たくない」
「あなたのような人間はどこに行っても嫌われるだけ」

 どれも、顔面に刃物を突き立てられるより、つらい言葉でした。
 助けてくれる人はおろか、安全な場所がどこにもなくなり、朝家を出た後に胃酸がこみあげ、草かげに隠れて嘔吐するようになりました。

 どうしたらいいかわからず、初めは校舎裏の壁に思いきり頭を打ちつけていましたが、それを見とがめた担任が「おかしなことをやめさせるように」と姉に言ったことで、姉から責められ、代わりに手首を切るようになりました。

 あなたが投げて壊したガラスの置物の破片を、腕に突き刺したのが最初でした。
 飽和状態になった頭がすっと安らかになるのを感じ、初めは軽い切り傷だったのが、高校の頃には徐々に骨が見えるほどの深い傷になっていきました。

 自傷行為が止まらなくなると、学校の風評にかかわるといって、一人だけ長袖の制服を着せられ、父に傷が見つかっては腕をつかまれ、殴られていた私に、あなたが繰り返し言ったのは「恥ずかしい思いをするのは私だからやめて」でしたね。

 思春期の私の心は、死にました。
 言葉にしようのない恥を植えつけられ、今でも腕の醜いミミズ腫れのような傷を見られるのは、性器を見られるより恥ずかしいです。

 姉とは今でも遠くにいながら良好な関係を保っていますが、悲しいこともたびたびありました。
 子ども時代の話になると、姉はきまって私を執拗に非難し、取るに足らない愚行をなじり、私が家や学校で受けた暴力を正当化しようとするのです。

 小学生の子どもに対して大人が振るう凄惨な暴力や暴言の一体どこがどう仕方ないのか、とても理解に苦しみます。
 「あんたのせいで私にまで風当たりが強くなった」と呪詛の言葉を付け加えるのも忘れません。

 他人の面前で言うことすらあり、これにはいつも心を押し潰されました。
 前回された時は、一週間立ち直れないほどどん底の気分で、それ以外のことが一切考えられなくなったりしました。

 姉も被害を受けたのですから、怒りの矛先が私に向くのは一見不可解です。
 しかし、同じことは暴力の蔓延した軍隊や、捕虜収容所などでも容易に起こります。

 少しでも昇格して自分の身を守るために、自分よりも要領の悪い者を蹴落とそうとしているだけだと思えば、少しは気持ちが収まることもあります。

 私たち家族は、失敗以外の何物でもありません。
 家庭は、小さな絶滅収容所でした。

 当時の暮らしを思い出す時、悲しみ以外の気持ちはほとんど起こらず、もしあの子ども時代を今からくり返すか、今すぐ末期がんによって死ぬかを選べるのであれば、二回でも三回でも末期がんで苦しんで死にます。

 最近になって頻度こそ減りましたが、日常のふとしたことからフラッシュバックを起こし、しまっていた怒りと悲しみと屈辱が一気に噴火し、心を嵐が通り過ぎた後で、深い絶望が押し寄せることが、今でもあります。

 屈強に振る舞おうとすることもありますが、今でも他人の視線が怖く、不意をついた物音に平静を失い、卒業後一年かけて見つけた正社員としての就職先も、深刻なパニック発作が相次いだため、すぐに辞めました。

 社会復帰したくても、「また同じことになれば、今度こそ立ち直れなくなるかもしれない」という恐怖のほうが強く、あまり他人には言えないようなことをして、その日暮らしをしています。
 こんなことを書き連ねて、私は何を望んでるのでしょう。

 仮にあなたから何かを望んでいたとすれば、きっとここに書いた事を何十分の一かにでも希釈して直接伝えたでしょう。
 私には、それができません。
 言い換えれば、あなたから望むものは何もないのだと思います。

 第三者にうち明けてみようとしたこともありましたが、いつもついには足がすくみました。
 トラウマを語ることは、語られる側からしても紛れもない苦痛であり、私のほうでも同情を望んでいるわけではない以上、「つらかったね」などと言って手を握られたり、相手が涙ぐみはじめたりしたら、自家中毒を起こしそうです。

 ここまでの文章を書くのも、血膿を絞り出すようなつらさがありましたが、頭の中に渦巻くだけだったこれらの正直な気持ちを言葉にできただけでも、私の気持ちにひとつの区切りがつくかもしれません。

 あなたはいつも、自分からどつぼにはまっていっては、抜け出す機会ならいくらでもあるにもかかわらず、何かと口実を作って、自分からみすみすとその機会を逃しては悲劇の主人公を演じ、あまつさえ、それを人のせいにして当たり散らしていました。
 とても醜い光景でした。

 あなたも、一方では身を削って精一杯がんばりました。
 限界もあったことと思います。
 それにしても、あなたはとても愚かな人でした。
 知らなかった、思い当たらなかった、あの時はどうかしていたで済まされる間違いでは到底ありません。

 私のほうでも、何も学ばなかったわけではありません。
 何事も、向き不向きがあります。
 あなたには、当時の状況下で家庭を維持するだけの器量がありませんでした。

 そもそも、あなたは親に向いていません。
 それ自体は、べつに悪いことではないのです。
 性分に合わないことを誰それのためと言ってやり続けて消耗すれば、どんなに強い人でもガタがきて、自分だけではなく周囲をもまきぞえにした転落が待っています。

 自分の精神衛生が守れない人に、守れるものは何もありません。
 姑息なことと思われようが、精神的な立ち回りがきかなくなった時の最善策は常に、逃げることです。

 もちろん、一度親になってしまったものを投げ出すことはできません。
 けれど、経済的安定や世間体のために、あまりに多くのものを犠牲にしたのは、今のあなたなら身にしみてわかるでしょう。

 そして、親が子どもを無条件に愛するのは当たり前という考えこそ、あなたの人生に即して言えば、あまりに有害でした。
 生身の人間どうし、愛し合えないこともあれば、わが子を心底憎くて制御がきかなくなりそうな時も当然やってきます。

 そんな時、残りの理性を最大限に引き出して乗り切ろうとするのか、強引な精神論を導入して、自分が子にぶつける憎悪や暴力を愛情の一形態なのだとうそぶき、暴走するのか、そこが大きな分岐点です。

 私たちの親子関係は、何度も絶望的に壊れました。
 今後とも、あなたがどんな真っ当なことを言ったところで、あなたを心から信用することは絶対にありません。

 ただ、父に対しては、もはや怒りも憎しみも含め、一切の感情がわかず、一切見たくない聞きたくないというところに留まる一方、あなたに対してこのような気持ちが次々とあふれ出たのは、あなたとの対話の可能性を私がどこかでまだ信じてるからではないでしょうか。

 おかしなことですが、あなたとは何か違った形で出会っていればと、私は今でも時々思います。


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